我が家の子は暇な時間が割と多い子だと思います。習い事は長女(6歳)は土曜日の体操だけ、次女(3歳)と三女(1歳)は何もやっていません。(次女はプリスクールが長めなこともあり。)
長女を小学校に迎えに行くといつも近所のお友達(7歳)と学校前で会います。彼女は忙しい小学生。習い事を5個やっているのだとか。
学校が終わるとお母さんに「ダンスがあるから急いで!」「シンガポールマースの宿題やらないと!」と言われ、急かされながら帰って行きます。彼女は習い事が好きな子。あれもやりたい、これもやりたい。いろいろな事に興味があって、忙しくしている自分がカッコいいと思ってる様に私の目には写ります。そしてそれを自慢げにうちの長女に話しています。
一方、我が家の長女は学校が終わると5分で着くところを30分近く(たまに1時間近く)かけて家まで歩きます。
雑木林に足を踏み入れてみたり、その辺に生えているキノコを観察したり、落ち葉を拾い集めたり、よその人のうちの前で休憩したり。
ヨチヨチ歩きの妹の手を取りながら一緒に歩いたり、私とダルマさんが転んだをして帰ったり。
はっきり言います。
私はこの時間が習い事よりも大事だと思っています。(小学校3年生くらいまでは特に。)この時間が好奇心を刺激したり、考える力を育てると。
ある秋の帰り道、長女がある木を見て言いました。
「あの木は上の方は葉っぱが全部なくなってるけど、下の方はまだいっぱいついてるね。何でだろう。」と。
「どうしてだろうねー」と言ってみると彼女はしばらく考えてから、
「わかった!上の方が風が強いんじゃない?だから上の葉っぱだけ落ちちゃったんじゃない?」
と答えました。
私は衝撃を隠せませんでした。自然を見て、不思議を発見し、それに対して自分なりの考えを導き出せる。そのプロセスに感動しました。
またある時は、まだヨチヨチ歩きの妹の手を取り、ペースを合わせながら、励ましながら、転ぶと優しくお尻についたホコリを取ってあげながら家まで歩いて帰りました。石を拾ったり、真っ赤な落ち葉を拾ったり。妹もとても嬉しそうに歩いていました。本当に1時間かかりました。
長女が毎日習い事をしていたらこの経験はできません。
いつも急かされながら帰るあの子は我が子がしていない経験をたくさんしています。素晴らしい経験をたくさんしていると思います。でもふと心配になります。彼女は「何も習い事をしない自分」に対して「カッコ悪い自分」と思っていないだろうかと。何もしない自分には価値がないと無意識的にも思っていないだろうかと。
本当に心ときめく、情熱を傾けられるものを見つけるためにいろいろな経験をする事は必要だと思います。しかし習い事という既製品で子供のスケジュールを埋め尽くすことに危機感を覚えます。
ルーティーンをこなす毎日で子供の感性を刺激する機会を奪っていないだろうか。
子どもは「習い事をする自分」に満足するようになってはいないだろうか。
面白い考えや発想や想像をする為の「暇な時間」を子どもに与えてるだろうか。
子どもが本当に情熱を持てる事を探すサポートをできているだろうか。
そして家族の絆を深めるゆったりとした時間をとれているだろうか。
私たち親はしっかり子どもたちを見つめてあげる必要があると思います。
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