top of page

グレーゾーンを歩く子どもたち— アイデンティティの中途半端さは、翼になる —

「出身地はどこ?」


悪意のない、ごく自然な問いかけ。

でも我が子たちは、答えを探すようにほんの少し間を置く。


日本人に聞かれれば、祖母の住む千葉と答えるし、

アメリカ人に聞かれれば、生まれた場所である西海岸の町の名前を言う。


その姿を見るたびに、私の中に複雑な感情が湧き上がる。

興味深さ、誇らしさ、そしてうまく言葉にならない小さな不安。


パスポートは日本。

海外育ちではあるけれど、その地の人として完全に溶け込んでいるわけでもない。


100%日本人でもなく、100%現地の人でもない。

「どこにも100%属さない」という状態は、一見すると颯爽として聞こえるかもしれない。ボーダレス、グローバル、自由——そういった言葉が浮かぶ。


でも親である私には、その曖昧さが時に重くのしかかった。


この子たちの帰る場所は、どこなのだろう。

私は、グレーゾーンを歩かせてしまっているのではないか。


人生の土台となるアイデンティティが、揺らいでしまわないか。そんな問いが、何度も頭をよぎった。


けれど、同時に思う。

特定の場所に依存しない。

ひとつの文化に閉じない。

ひとつの常識に縛られない。

それは根無し草であることではなく、どんな土壌にも自分なりの根を張れる、静かな強さなのではないか。


国が変わるたびに、言語が変わり、学校が変わり、友人関係がリセットされる。

それでも彼らは新しい環境の中に居場所を見つけ、また誰かと繋がっていく。

それは偶然ではない。「自分は自分として立てる」という感覚が、旅するように少しずつ育まれているから。


彼らにとってのホームとは、特定の国でも土地でもなく、自分の内側に宿る軸であり、動き続けるこの家族そのものなのだろう。


どこにも属さないことは、裏を返せば「どこへでも行ける」ということ。

ひとつに固定されないからこそ、世界のどこへでも、恐れずに飛び立てる。


そう思えるようになったとき、アイデンティティの中途半端さは不安定な足場ではなく、翼なのだと感じるようになった。


もちろん、揺れはある。葛藤もある。

自分は何者なのかと、立ち止まる夜もあるだでしょう。

けれどそれは、何かが欠けているからではなく、複数の世界を知っているからこそ生まれる問い。


白か黒かではなく、グレーを抱えて生きること。

それは弱さではない。深みであり、成熟。


もしあなたやあなたの子どもが、「どこにも属していない」と感じる瞬間があるなら——

それは孤立ではなく、可能性の入り口かもしれない。


グレーゾーンを歩くとは、バランスを取りながら前へ進むということ。

そしてその先には、きっと、どこへでも飛び立てる未来が広がっている!

 
 
 

コメント


Get in Touch

ご質問やご不明な点がございましたらどんな些細なことでもぜひお気軽にお問い合わせください。

Mother's Journeyへメッセージを送信しました。Thank you!

© 2018 Mother's Journey Chie Maekawa
bottom of page